本質とは何か

かのホンダの経営者が製品の量と質の問題について、「どこに本質があるかを見る目が必要だ」と語ったそうだ。

さて、「本質」とは何か。こんな問いがあったとすると、それを哲学的に捉えるか、現実の分析結果からの帰結と捉えるか、という最初の選択にぶつかるんだが、僕は古いのでどうしても前者的発言になってしまう。で、答えると

”「あるもの」の「本質」とは、当のあるものをあらゆる角度から分析したときに、常にその結果を説明しうる「あるものの性質」を言う。”

となる。おそらくホンダの人の意味と違うところは一箇所だけ。「あらゆる角度から」というところ。彼の場合これが「ある角度から」になる。で、「量と質のどちらが本質か」の問題だったら、彼の場合、「製品の市場性」という角度から見た本質とは何か、ということになる。

本質の哲学的定義の方の、「あるもの」というところに「生命」を置くと、その「本質」がそもそも規定できるか、という大問題に発展する。たとえば、サルトルの有名な「実存は本質に先立つ」などの哲学的問題になる。

と、いうわけで、「あるもの」に「商品」を置いたときにも、その「商品」を、「物質」と見るか、「生き物」と見るかによって、その本質議論はまるっきり変わる可能性がある。前者を採用して物質だとすれば、科学的マーケティング手法になる。後者のように商品は生き物だということであれば、これは研ぎ澄まされた経営者のカンがモノを言うのかもしれない。

ちなみに、哲学的でない本質定義であれば、「あるもの」にたとえば「労働者」や「消費者」といった人間(生命)を入れても、まるで心配は要らない。なぜなら「ある角度」からしか見ないから。これが、「経営」である、あるいは「政治」も長い間そうだった。

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